「ぼくらはてんさい」をはじめたきっかけ
私が「ぼくらはてんさい」(こども向けの創作ワークショップ)をはじめたきっかけを思い出しながら書く。
(ところどころ間違いはあると思う。ご了承を🙏)
あれは、8年ほど前だろうか?
ざっくりいうと、私は工学部建築学科の大学生で、バンドマンだった。
アルバイトで学習塾の先生をしていた。
物理・数学、たまに英語も教えていた。
働く環境によると思うが、当時、塾には服装のルールみたいなものがあった。
先生たちはきちっとした服装で、生徒に勉強を教える。
その日にやらなくてはならない、決められた内容を勉強してもらうことがゴールだ。
そうすれば役目は果たしたことになる。そんなふうに私の目には映った。
それが一般的であり、普通のことなのかもしれない。
そんな塾講師生活を繰り返しているうちに、こどもが学びを苦役のように感じてしまっていることに気づいた。
そこから、何か違うアプローチはないかと考えはじめた。
また、私自身、学ぶことや学校のあり方について考えることがあり、いろいろな情報を調べた。
それから、まずは、なるべくおもしろい授業を心がけた。
なぜなら、つまならかったらスタート地点で敗北だからだ。
意欲的に学ぶ機会をものにしなければならない。
ただ、多少の効果は感じたものの、求めている結果とは程遠かった。
さらにそれからやり方を変えてみた。
表層的なことではなく、もっと根本的に考えた。
そして、「こどもと真正面から向き合うことが大事なのでは?」と思った。 相手を対等に1人の人間として尊重する。
こどもか大人かは関係ない。
もしかしたら、それまではどこかで「こどもに頑張って教える」ことに慢心していたのかもしれない。
それから、一人一人の気持ち、考え、感じていることを受け入れて、まずは傾聴に徹した。
また、相手と対等な立場に近づこうと、きちっとした服装はやめた。(当初は、服装ルールを守らず迷惑をかけたかもしれません。優しく見守っていただきありがとうございました。)
そうすると、こどもが素直に「なんで勉強するの?」というような疑問を口に出し考えるようになっていった。
そして、私もその子の最大限の答えが出るようにサポートした。
ここでは、正しさが重要なのではなく、自分の頭で思考するプロセスを大事にした。
なぜなら、そうやって自らの思考で問いを立て、解決策を模索する力が、これからの時代にとってより重要なスキルになると感じていたからだ。
そして、その力を持っていたら、(本当に望んでいるのなら)志望校に合格するための勉強も自主的に取り組み改善することができるのではないかと思っている。
また、その思考力を引き出すためには、自分自身が興味を持つテーマが大切であり、それこそが本当の学びに繋がると考えた。
だからこそ、こども達には自分が何に興味を持つのか、何を深く知りたいと思うのかを自分自身で考える力を養ってほしいと思った。
自分が求めているものに敏感になる力だ。
そのような経験を経て、私が想像していた塾のあり方とはかけ離れた形で、「ぼくらはてんさい」が生まれた。
そこは、一人ひとりが自分自身の学びを追求する場所だ。
そして、そこではこども達が自分自身で学びを見つけ、自分の頭で考え、自分の手で創り出す力を養うことができる。
「ぼくらはてんさい」は、人々の好奇心を育み、それを満たす環境を作っていくことになるであろう。
このような形での教育が、もっと多くのこども達に広まっていくことを願っている。
こども達の素晴らしい成長を見守りながら、彼らが持つ無限の可能性を信じて。